これでも母親

SEXしかできない浮気性くそ女の言い訳。

台湾人のおばちゃん

私の記憶があるのは母と私で小さいアパートで暮らしていたところから。

 

母は台湾人。結婚して数年で父と離婚したようだ。

スナック経営で生計をたてていた。

 

フィリピンや中国の女の子を雇って、時々自宅の一部屋を寮として貸し出す時期があったり、お手伝いさんとして家事と私の面倒をみてくれる異国のおばちゃんが居たりといつも誰かが家にいた。

 

寮として寝泊りしていた女の子たちの事はほとんど覚えていないがお手伝いさんのおばちゃんのことは2人ほど覚えている。

一人目はパンチパーマで小太りのとっても怖いおばちゃんだった。

具体的にどんな風に生活をしていたかは覚えていないが今でも忘れられないことがある。

 

まだ小学生にあがる前だった。

恥ずかしい話、私はおもらしが多い子供だった。

いつもギリギリまで我慢をして我慢しきれずに漏らしてしまう。

オネショをすることも多かった。

おばちゃんにはいつも

「ツギオネショシタラ オシリ、ライターデヤクカラネ!!」

と怒られていた。

 

何度目かのおもらしか覚えていないがその日もまた幼稚園から帰ってくるなりもらしてしまった。

 

とうとうおばちゃんの堪忍袋が切れてしまったのか

ズボンとパンツを脱がせるなり無理やり手を引っ張られ寝室へ連れていかれた。

「やだ・・・」

抵抗するも手と足をつかって無理やり押さえつける。

私の両足をM字に開くとライターではなくドライヤーの熱風を私の陰部に当ててきた。

熱いと感じるくらいの近い距離で当て続ける。

「ごめんなさい!!もうお漏らししないからやめて!!熱い!!ごめんなさい!!」

泣いて謝るとおばちゃんはドライヤーの電源を切った。

「ツギヤッタラマタヤルカラネ!!」

とおばちゃんは部屋を去っていった。

 

そしてまた数日後私は夕方外で遊んでいたが

大便をもらしてしまった・・・。

 

恐る恐る家に帰りおばちゃんに謝る。

「ズボントパンツヲヌイデ オフロニイッテ!!」

私は言われた通りお尻をだしたままお風呂へ。

おばちゃんは大便のついたパンツを私の口元へおしつけてきた。

「あぁあああー!!やだぁああ!!」

泣きながら抵抗する私の口を手でこじ開けて下着についた大便を口の中へ。

「オェエエエエッ。ごめんなさいぃいい。。。」

うまく表現できないがその時の口の中の感じは今でも覚えている…。

おばちゃんは手をとめると汚れた下着と水をなみなみいっぱい桶に入れた。

「アタマノウエデ モッテ」

まだ幼かった私には重たい、水がいっぱいの桶を頭にのせるので

私はそれを両手で抑えるように持ち、硬い風呂場の床の上で膝立ちをしていた。

昔の古い風呂だったので不揃いの石をセメントで敷き詰めたような床で凹凸が痛い。

おばちゃんはリビングに戻り何かをとりにいった。

(もしかして・・・)

戻ってくるとおばちゃんの手には竹の細い棒があった。

お母さんが私をしかるときのお仕置き用の棒だ。

鞭のように細くてしなるので痛い。

「やだぁああ!!ゴメンナサイ!!ゴメンナサイ!!」

叫び声が風呂場に響き渡る。

おばちゃんは私の泣き声を無視し棒で私の足を何度もたたいた。

口の中から鼻に抜ける大便の匂いと膝に当たる床の痛みと棒でたたかれる痛みで

耐え切れず桶を離し、シャワーで口をあらった。

荒い息遣いでおばちゃんは叩き続けてきた。

「ナンカイイッタラワカル!!ナンカイモナンカイモ!!」

「ウアァアアア、、ごめんなさいいぃいい」

 

何分かすると疲れたのかおばちゃんは動きを止めて下着を広い洗面台へ行った。

私の足にはたくさんのミミズ腫れができていた。

 

 

 

そのことはわざわざ母には言わなかった。

きっと母にも怒られるから。

そして何より棒で叩かれたり怒鳴られたりするのは日常茶飯事で

これくらいのことは普通のことだとおもっていた。

なのでいつも私の足はミミズ腫れや痣が沢山あった。

 

 

そしてパンチパーマのおばちゃんは何か月なのか何年なのか忘れてしまったが

気づいたら居なくなっていて二人目のおばちゃんに替わっていた。

ショートカットで眼鏡をかけていて細く小柄なおばちゃんだった。

 

そのおばちゃんはパンチパーマのおばちゃんとは違いとても優しいおばちゃんだった。

眼鏡のおばちゃんも多分台湾人だったと思う。

 

毎朝寝起きの悪い私を、セーラームーンの人形を使って起こしてくれた。

やさしい歌声と私の体の上をセーラームーンが踊りながら跳ねる。

「ヤヨイチャン♪オキテ~♪アサヨ~♪」

 

眼鏡のおばちゃんはいつもニコニコしていた。

お漏らしした私を叱ることもせず

「ショウガナイネ~♪」

と下着とズボンを洗ってくれた。

 

 

うちのすぐ近くに大型犬を飼っている家がある。

毎日毎日柵の向こう側から吠えてくる怖い犬だった。

 

 

ある日眼鏡のおばちゃんと外に出かけた。

帰りに家の近くまで来るといつもの怖い犬が柵の外側にでている。

「コワイヨォ…」

私が泣き出すと眼鏡のおばちゃんは私を壁側にし私の前にかばうように家まで歩き出した。

家はすぐ目の前でどうしてもそこを通らなければ帰れなかった。

「ワンワン!!ワンッ!!」

犬が私たちに吠えだしおばちゃんに飛びつく。

「アッチイッテ!!コラ!!!ダメヨ!!」

おばちゃんも必死に犬を追い払い私をかばいながらどうにか家までたどり着いた。

噛みつかれるわけでもなくただ吠えていただけなのだが当時の私には怖くてしかたがなかった。

「ウワァアアアン」

まだ泣いている私を眼鏡のおばちゃんは抱きしめながら背中をトントンしてくれた。

「ダイジョウブヨ~♪モウコワクナイヨ~♪」

いつものやさしい声で安心し泣き止む。

 

私は眼鏡のおばちゃんが本当に大好きで毎日家に帰るのが楽しみだった。

だが眼鏡のおばちゃんも小学生にあがるころにはもういなくなっていた。

 

 

私の記憶にある二人のおばちゃんとのエピソードはこれだけ。

二人は国に帰ったのか日本にいたのかそれきり一度も会っていない。

今思えばどこの誰なのか何歳だったのかもわからない。

 

ただ、あとから父に聞かされていたのが、嘘か本当かはわからないが

母が空港でアジア系の女の人をターゲットにホステスと家政婦をスカウトしていたらしい(笑)